渋谷一慶
株式会社BUYCLUB代表取締役/26歳/独身/A型/
ビジネスサイトBUYCLUB運営/アパレルバイヤー/各コンサルティング※
はじめまして渋谷一慶と申します。
この度はこのページにアクセスいただきありがとうございます。
上の画像はバイマから毎月提供されている、このサイトを開設するまでの昨年の私のメインアカウントの売り上げと順位表です。(順位にはモザイク処理をしています。)
利益率は25~30%程度。
ファッション業界の閑散期2月を除けば売り上げ1000万以上をキープ。
12月にはメインアカウントのみで売り上げ2,000万を突破。
新型コロナウイルスの影響で2020年4月16日から緊急事態宣言等で日本中が混乱して以降も売り上げを伸ばし続け…
※BUYMAの売り上げは実質半月後程度に反映されるため5月から添付しています。
※あくまでメインアカウントのみのデータで他複数アカウントを含めるとより多くの売り上げがあります。
前年同月比を1度も下回ることなく、安定して右肩上がりに売り上げを伸ばし続けています。
飽和したと言われている最近のバイマでここまでの実績を出し、そしてここまで詳細に売り上げを開示している発信者は恐らく私くらいではないでしょうか。
今後このサイトを開設したこともあり、アカウントバレ防止の観点から、売り上げを継続的に開示しつづける事は控えますが、現時点で日本国内に在住するバイヤーでは(有在庫販売者など一部卸業者などを除けば)自分はバイマ界のTOPに君臨すると自負しております。
ただ、ハッキリと言いますが、僕が頭がいいから達成したってわけでもないですし、みんな僕の事をまるで天才や、はたまたバイマ界に現れた救世主のような目で見ているとは思いますが、、、
誰もそんな目ではみていない。
・・・。
まあ、何はともあれ、僕の卒業した大学は偏差値あるのかどうかすらわからない、いわゆるFラン大学ですし、繰り返しになりますが、特段頭がいいから成し得たという訳ではありません。
またファッションに強いというわけでもありません。
バイマを始めた頃は
Supremeの事をスパームと読んでましたし、(ハムかよ!)
Givenchyの事をジンパシーと読んでいました(何故そうなる!?)
プラダ、ヴィトン、シャネル、エルメスの違いなんて聞かれても全く答えられない。
とまあ今では考えられないような状態でした。
今でこそ時間もお金も自由な生活をしていますが、それまでは超ブラック企業に就職し、眠たい目を擦りながら通勤、毎日終電まで仕事という理想とはかけ離れた生活をしていて、当然ながらバイマも最初から順風爛漫に稼げたわけでは無く、はっきり言っての挫折挫折の連続でした。
そんな僕がなぜ仕事を辞めてバイマをはじめたのか、そして何故業界TOPまで上り詰めることが出来たのか。
今日はそんな話をしていきたいと思います。
渋谷一慶とは?
上記にも記載しましたが自分はバイマを始めるまで、Fラン大学、ブラック企業出身のどこにでもいる普通の人間でした。
大学へ、そして夢の1人暮らし。
勉強は全くしていなかったのですが、就職や専門学校は選択肢にありませんでした。
まだまだ遊んでいたい。自由に生きたいという理由だけで大学へ進学する事に。
県外に行って1人暮らしがしたかったので、少ない選択肢からいろいろ悩んだ結果まだ卒業生も出していない面接だけで誰でも受かるような新設大学を受験し、入学。
ただこの大学は僕が卒業すると同時に経営難で閉校になりました。(笑)
僕らより1個下の後輩はみんな他の大学へ編入となり、数年で潰れた稀に見る大学です。
社会人へ。就職先は住宅営業マン。
これまでの人生、なんの努力もせずに、とうとう就活を迎えます。
特にやりたいこともなかった僕はとにかく楽な仕事にしようと考えます。
そしてふと思ったのが住宅展示場での仕事です。
職場は綺麗だし、住宅の展示場なんてそんなにお客さんも来ないだろう…もしかしたら誰もいない時は、ベットで寝れるんじゃね?(ゲス)
そんななめきった考えの元、東証一部上場企業の住宅メーカーに就職。
が、ご存知の方もいるかもしれませんが、思いとは裏腹に住宅業界めっちゃブラックでした。
職場では毎日のように上司の怒号が響き渡ります。
家を売らないと給料泥棒ですからね。売らないとめちゃくちゃ精神的に追い込まれます。
ただ、そんな中でも自分は比較的優秀でした。
他の新入社員と比べてもアポが多く取れ、新入社員は最初の1年で1棟契約できれば及第点と言われているのですが、それもかなり早い段階で達成しました。4000万を超える大きな契約です。
ただ、”これでもう1年安心して楽に過ごせる^^やっほーい!!”
なんて事になるわけが無く…
新入社員だろうと1棟契約すれば次の1棟を契約するために行動しなければなりません。
もはやその契約した1棟は無かったような扱いです。
毎週月曜日は支店で会議が開かれ、訪問の数や電話の数、アポの数など細かく聞かれ、もちろん少しでも気の緩んだような行動を取っていれば全力で詰められます。
しかし、そんな数千万円もする家がポンポン売れるはずもありません。
これまで結果を出してきた先輩もその時の状況が悪ければとてつもないプレッシャーを与えられていました。
そして各展示場の営業成績が悪くなれば次は展示場の責任者が叩かれ、
更にその県の支店の営業成績が悪くなれば次は支店長が本社から詰められます。
つまりそれぞれの立場の人がそれぞれのプレッシャーをかけられて、連鎖反応のようにそれが下へ下へと流れて行き、末端の自分にも重く降りかかって来ていました。
そして僕はある事実に気付きはじめます。
この会社で頑張って働いて結果を出して出世したとしても、今自分が感じているこのプレッシャーから解放されることは無く、いつまで経っても、本当の意味で自由になれる日は来ないのだと。
自分は永遠に会社の奴隷であるという現実を目の前でまじまじと見せつけられていたのです。
毎日帰宅は0時を過ぎ、休みはほとんどありません。
当時の給料は手取りで20万程度でしたが、家賃、駐車料金、携帯、光熱費等を差し引くと手元に残るお金は10万以下、帰宅時間が遅いのでとてもじゃないですが自炊なんて出来る余裕は無く、食費代も高くなり、結果毎月ほとんど手元に残るお金はありませんでした。
自分はいったい何の為に働いているのだろう。
そんな不安やストレス、苦悩が毎日頭を駆け巡ります。
一生このままプレッシャーを与えられながら、生きる為に働かなくてはならないのだろうか。
それでも僕は自分自身に言い聞かせてました。
これは全て当たり前の事なのだと。これが社会人というものなのだと。いつか僕も家族を持った時に家族を幸せにする最善の道などだと。
そう無理やり自分に言い聞かせ、心の奥ではこんな人生全く望んでいないにも関わらず、自分自身を必死に説得し、無理やり納得させながら働き続けました。
恐らく当時の僕には働き続けるという、その選択肢しか残っていなかったのかもしれませんね。
人生を変えた日。
そんなこんなで住宅メーカーに就職して8ヶ月後、その年の年末に地元の友達と集まる機会がありました。
ご存知の方も多いと思いますが、バイマ配信者の和田氏とフリーランスのZ氏です。
彼らとは小学校からの友人で、同じサッカー部だったということもあり、本気で喧嘩もする兄弟のような仲なのですが、そこで彼らから衝撃的な話を聞かされます。
俺バイマだけで今月収60万くらいやわ。作業時間は1日1時間くらいかな。
俺はバイマ月によってバラバラやけど月収20万くらいかな。4月までに40万達成するのが目標。
はっきり言って衝撃でした。
彼らが自分で稼いでいるのは知っていたのですが、まさかこんなに稼いでいるとは思っていなかったからです。
そしてなにより、彼らは僕と違って圧倒的に自由でした。
寝たい時に寝て、起きたい時に起きる。
好きな時に好きな場所に行く。
食べたい時に食べたいものを食べる。
誰からも怒られず、プレッシャーもない、時間や場所に制限されない自由な生活です。
経済的にも不自由せず、そして2人とも大きな野望を抱いていました。
どんどん彼らに突き放されていく。そんな気がしました。
嫉妬。
僕は彼らにただただ嫉妬しました。
しかし、僕の心は素直にその嫉妬を受け入れることが出来ず、プライドも邪魔して、心の中で彼らを否定するようになります。
「いや、そんなにいつまでも上手くいくはずがない。」
「俺はこのまま家族を作って安定してそれが幸せな人生だ。」
そんな根拠のない”言い訳”を並べながら、自分の現状から目をそらし続けました。
次の日もいつもと同じように眠たい目を擦りながら早朝から通勤、プレッシャーを受けながら生きていく為に業務に励み、0時を過ぎてコンビニ弁当を買って帰宅し就寝。
数時間後にはまた同じ時間に起きて出社。
理想とはかけ離れた日々の繰り返しです。
心の葛藤。
あの日以降、繰り返される日々の中で自問自答をし続けていました。
本当にこのままでいいのか。
人生一度きりだぞ。
どうせ同じように努力するなら、自分のビジネスの為に努力した方がいいんじゃないか。
あいつらに出来て俺に出来ないなんてことなんてあるのか。
いやしかし…仕事を辞めて本当に食っていけるのか…
そして、和田氏の言った言葉が頭をめぐります、
もし渋谷がインターネットビジネスを本気でやれば絶対に50万とかすぐに稼げる。才能なんて関係ない。この世界は努力が全てだ。
これだけ自分の事を評価してくれる人がいる。
自分がその道に進むことを応援してくれる仲間がる。
もうどうなってもいい。
いつか死ぬなら、後悔しない人生にしよう。
根拠のない不安はいつの間にか根拠のない自信へと変わって行きました。
俺には出来る。絶対に出来る。
そしてそこから3ヶ月後の翌年3月の末で会社を退職しました。
社会人としてはちょうど1年間働いたことになります。
インターネットビジネス、バイマ始動。
会社を辞め、ついにバイマ始動です。
会社を辞め、バイマを始める前に1つ心に決めていたことがあります。
それは、バイマで稼ぐ上で和田やZ氏を絶対に頼らないということです。
※まあどうしてもわからないとこは聞きましたが(頼ったんかい!)
でもほんとに彼らに頼った(聞いた)事なんて全体の1%以下です。
バイマの稼ぎ方も全てネットに落ちている情報だけでスタートし、わからない事も全て自分で調べて解決しました。
今思うと別に聞きたい事は聞いてりゃ良かったのですが、まあこれは僕の中での変なプライドですかね。
しかし、会社を辞めたときに持っていた自分なら絶対に出来る。絶対に稼げる。という根拠のない自信は早々に打ち砕かれていくのです。
話し長!(笑)
稼げない。
そろそろ疲れてきたかも多いかもしれませんがあと少しです(笑)
バイマは無在庫販売なのでリスクが全くないビジネスモデルなのですが、当然そんなに簡単に稼げるような甘い話でもありません。
⇒リスクやバイマで稼ぐ仕組みはこちらに簡単にまとめてあるので、読んでみてください。
いざ商品を出品しようとしても、実際何を出品していいかわからない。
ネットにあった人気順リサーチなんてやろうとしても価格差のある商品なんてなかなか見つからないし、見つかっても利益を計算してみると超薄利。
3時間かけて1出品。
絶望を感じましたね。(笑)
勢いよく仕事を辞めた頃は、死ぬ気で努力しようと心に誓ったはずなのに、バイマをやればやるほど、やる気もどんどん無くなっていきました。
誰にも指示されない。怒られない。究極に自由な仕事環境。
そんなメリットであるはずのバイマの魅力は、いつしかデメリットへと変わっていきました。
誰からも指示されない。怒られない。が故に、人は甘え、行動しなくなるのです。
どん底の日々。
僕は仕事を辞めてからバイマを始めたので、収入は1円もありませんでした。
賃貸に住んでいたので、光熱費や通信費などを含めると毎月最低でも10万円は支払う必要がありました。
ハッキリ言ってこの状況、今思うとバカすぎますけどね(笑)
とにかくバイマで稼がないといけない。
しかし、探せど探せど”これ”といった商品が見つからない。
何時間もかけて出品しても、受注の無い日々が過ぎていきます。
いつしかパソコンの前に向かう事の方すら億劫になっていました。
何故2人には稼げて自分は稼げない?
俺には才能がないのか。
これまでの人生、自分は一切努力をしてこなかった。
いや、違う。努力してこなかったんじゃなく、努力が出来なかったんじゃないか。
分かっていても続かない。
なんて自分はダメな人間なんだ…。
退職する時、会社の人たちからは「絶対無理だ。」って散々言われたな…
再就職したら笑われるだろうな…。
これからもし俺が稼げなくて再就職すると2人はどう思う?
うわー…めっちゃダサいな…俺。
いろんな感情が自分を精神的に追い詰めて行きます。
自分は住宅業界で働いていた時に地元からも神戸からも離れた勤務地となり、そこで1人暮らしをしていたので、周りには誰一人頼れる人はいませんでした。圧倒的に孤独です。
今思うとこの時期が僕にとって最もつらい時期でした。
転機。
そんな絶望の日々が続く中、転機が訪れます。
ある日、家にいると注意力が散漫になるので、近所のファミレスにパソコンを持っていき、そこで仕事をしました。
思った以上に集中できて、その日はカフェに場所を映してそこでも作業し続けました。
更に家に帰っても作業しました。
その日、初めて1日を通してこれ以上するのは無理だってくらいやり通しました。
今までに無い感覚でした。
これまで寝る前は絶望の中就寝していたのに、その日はまるで違いました。
全く稼げていません。でもまるで10万円稼いでしまったような達成感がありました。
もしかするとこれからバイマをされる方も僕と同じような感覚を味わう人がいるかもしれません。
その時は、”ああこのことか”と、この記事を思い出してください。
バイマを始めてから、「絶対にこんなの無理だろ、意味わかんねぇ」って先の見えない真っ暗な道を走り続けいても、あきらめずにもがき続ければ必ずいつか一筋の光が見える瞬間が来ます。
この商品を1分でも早く出品したい。寝る時間ももったいない。
その日以降バイマをすることが徐々に苦痛では無くなっていきました。
“1秒でも早くこの商品を出品したい。寝るのがもったいない。”
いつしか目の前には今まで見えていなかった宝の山が広がっていました。
気が付くと毎日のように18~20時間くらい作業していました。
もちろん壁にぶち当たり、モチベーションが下がることもありました。
そんな時はまたカフェに行ったりして気分を変えてきました。
壁に自分のなりたい理想の生活や欲しい車の画像を貼り付け、モチベーションを保ち続けました。
必ず成功して、理想の生活を手に入れたい。
彼らに負けたくない。彼らを超えたい。
絶対に超えてやる。
自分なら稼げる。絶対に出来る。
これまで感じていた不安は、いつしか会社を辞めたときに持っていたポジティブな考えに変わりはじめました。
そして、彼らと話したあの日、彼らが一切不安を感じていなかった理由がわかりました。
それは彼らが想像を絶するほどの努力し、新しい事に挑戦していたからです。
もちろん彼らにも心の奥底には不安もあったかもしれない。でもきっとそれ以上に希望の方が大きかったのです。
努力をすれば不安が消え去る事を知りました。
彼らが稼いできたのは偶然の産物では無く、努力した結果だと確信しました。
情報発信者としての道へ。
2019年1月
僕はこのブログを開設し、発信をはじめることにしました。
これからの時代、発信出来るインフルエンサーになることが大切ですからね。
それと同時にあの日彼らが僕にこの道を教えてくれて、人生を変えるキッカケを与えてくれたように、僕もこのブログを通して1人でも多くの人に人生を変えるキッカケを提供できればと思ったからです。
今度は僕がこれまで得た独自のノウハウを、このブログを通して皆さんに還元していく番だと思っております。
そしていろんな人と触れ合い、僕自身も成長していきたいと思っております。
僕がバイマ界のTOPまで上り詰めれたのは、紛れもなくたくさんのブログの情報があったからです。
もしそのブログが無ければ僕はここまでこれませんでした。
ただ、飽和したと言われている最近のバイマで売り上げが大幅に下がった、もしくはバイマで本当に今稼いでいるのかどうか全くわからない。
そんな状態で発信を続けている情報発信者が乱立しているのも、また事実です。
例えば少しBUYMAで稼いだだけでコンサルタントを名乗り、売り上げが下がったため発信にシフトする「エセコンサル」があまりに多いです。
彼らは物販をせず情報発信ばかりしているのです。
そんな彼らがどうやって教える相手を成功に導くというのでしょうか。
これは非常に危惧すべき状況であり、そのような発信者からの間違った情報を元にバイマをしても全く稼げない。もしくは稼ぐスピードが大幅に遅くなります。
自分は現在1日1~2時間程度の作業時間でバイマを使って月に数百万稼いでいます。
月商をまるで利益のように表現し月に○○万稼ぐ!なんて煽ってるブロガーとは違います。
利益で月収数百万稼いでいます。
年商を自慢したいわけではありません。
今、BUYMAの最前線でバリバリやってるということをお伝えしたいのです。
そういった人たちとは一緒にして欲しくないという強い思いがあるのです。
圧倒的な実績を元に、本当に価値のある情報を発信していく事は、今自分に求められている使命だと感じています。
最高の人生。
寝たい時に寝て、起きたい時に起きる。
いろんなカフェに行き、美味しいコーヒを飲みながらパソコンを広げて仕事。
誰にも怒られず、誰にも指示されない自分ペースの究極に自由な仕事環境。
好きな時に旅行に出かけ、旅先でサクッと仕事をする。
僕は今そんなお金も時間も自由な最高の人生を手に入れています。
決して”俺すごいだろ”って自慢したいわけではありません。
思い出してください。
僕はほんの少し前までブラック企業で0時過ぎまで働いていた普通の人間です。
Supremeの事をスパームと言っていたような人間です。
そんな僕でさえここまで来ることが出来ました。
そして僕がここまで上り詰めることが出来たのは特別才能があったからではありません。
幸運にも彼らのおかげでこんな世界があるということを知り、そして目標に向かってただ努力しただけです。
もちろん僕だけじゃありません。
バイマで僕のような生活を送っている人は山のようにいます。
そして成功者(自分の事を成功者というのも恐縮ですが)に共通していることはたった1つで、皆本当に努力をして来たということです。
僕に出来てあなたに出来ないことなんて何1つありません。
どんなに難しい、不可能だと思った事でも、諦めなければ必ずいつか道は開けます。
暗闇を走り続ける辛さは僕も身を持って体験しています。
でも走り続ければいつか必ず光が見えて、成功へ繋がります。
そしてあなたが成功すればあなたの人間力が向上します。
人間力とは相手の心をうごかす能力の事です。
あなたが努力し成しえた事は間違いなく人を動かす力となります。
そして、あなたに動かされた誰かがまた誰かを動かしていくのです。
このブログを通してそんなサイクルが生まれ、
1人でも多くの人が理想の人生を歩んでいただくキッカケとなれば幸いです。
長くなりましたが、最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
渋谷一慶